武田は頑として冷い顔をしていた

「ああほんとだ。」 武田は頑として冷い顔をしていた。 佐野は食事を続け、武田はビールを飲んだ。「行こう行こうと思ってて、つい行きそびれちゃってね……。」「いやお互様だよ。……君んとこは皆丈夫かい。」「ああ丈夫だ。」「二人とも……。」「二人とも、……うむ、丈夫にしてるよ。」 敏子の顔が、ちらと佐野の頭に映った。と同時に、擽ったいような変な気持になった。「君も……もう落付いたかい。」「落付いたと云やあ、落付きすぎたくらいだが……。」「そりゃあいい。」そして佐野はじっと武田の顔を眺めた。「細君に死なれるってことは、実際経験してみなけりゃあ分らない、とそう僕は考えて、其後行きそびれちゃったが……。」「いや、その方が僕は有難かった。なまじい変なことを云って慰められるよりも、そっと触れないでおかれた方が、どれほどいいか分らない。」「ふむ、そんなものかなあ。」「どうして……。」「どうしてってことはないが……一体どんな気持だい。随分困ったろう。」「その当座は全く困っちゃった。だが……子供がないのでまあよかったが……何もかも済んでしまって、落付いてしまった後が、どうもいけない。」「というのは……。」「何かしら残ってるんでね。」「そりゃあ残ってるだろうよ。」「それがね、変なんだ。妻の品物がそこらにあるとか、僕の身の廻りの世話が行届かなくなるとか、そんなことなら当り前の話だけれど……。」「まだ何かあるのかい。」

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