佐野は構わずにボーイを呼んだ

 佐野は立っていった。「おい」と肩を叩く気勢で、「どうしたい。」 友人を迎える彼の笑顔に向って武田は夢からさめたような顔を挙げた。「やあー。」「暫くぶりだね。」「うむ。」「どうしてるんだい、其後……。まあ、あっちの卓子に来ないか。」「そう。」 気の無さそうなのを、佐野は構わずにボーイを呼んだ。そして、卓子を挾んで向き合ってみると、一寸、極りがつかなかった。 佐野の家に赤ん坊が生れたのと、武田が細君を――正式の結婚ではなかったが同棲して二年余になる細君を――亡くしたのとが、殆んど同じ頃だった。その両方の混雑にまぎれて、親しく往き来してた二人ではあるがいつしか疎遠になっていた。 武田の顔は、目立って色艶が悪く、頬の肉が落ちていた。「飯は?」「もう済んだ。」「もう……。何なら、今初めたばかりだから、一緒にやろうか。」「いやほんとに済んだよ。」 だが、佐野には腑に落ちなかった。どこをどうという理由もないが、武田はまだ食事をしていないに違いないという感じが、しきりにするのだった。「ほんとかい。」

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