ともかく医者を呼ぶことだ

 赤酒になにか曰《いわ》くがあったのだろうが、そんな詮策はどうでもいい。さしあたっての急務は、なんとかして大池の命をつなぎとめることだ。さもないと、えらい羽目になる。こういう状況では、どんな嫌疑をかけられても、釈明する余地はないわけだから。 ともかく医者を呼ぶことだ。煙突から炎をだせば、石倉がやってくるといっていた。石倉は敵だが、いま利用できるのは石倉のほかにはない。 久美子は煖炉の燃えさしの上に紙屑や木箱の壊れたのを積みあげ、ケロシン油をかけて火をつけた。威勢よく燃えあがった松薪の炎が、鞴《ふいご》のような音をたてて吸いあげられていく。 久美子は煖炉の前の揺椅子に掛け、浮きあがるような気持で石倉を待っていた

 三日後、朝の十時ごろからはじまった取調べが、夕方の五時近くなってもまだ終らない。伊東署の調べ室で、加藤捜査一課と久美子が、永久につづくかと思われるような、はてしもない言葉のやりとりをくりかえしていた。 窓のない、一坪ばかりの板壁の部屋で、磨ガラスの扉で捜査主任の部屋につづいている。たえずひとの出入りするバタバタいう音や、ひっきりなしに鳴る電話の音が聞えて来る。 長い沈黙のあとで、加藤捜査一課が、ぼつりと言った。「なにか言ったらどうだ」 久美子は冷淡にやりかえした。「なにも言うことはないわ」「こちらには聞きたいことがある」「疲《くた》びれたから、これくらいにしておいてください」「なにも言わないことにしたのか」「なにも言いたくないの。言ってみたって無駄だから」「無駄か無駄でないか、誰がきめるんだ」

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