大池は素直にうなずいた

「大池さん、十一時よ……あと七時間……いままで保《も》った心臓なら、明日の朝まで保つでしょう。しゃべるのはそれくらいにして、すこし眠ったらどう」 胸にたまっていたものを吐きだしたので、気持が楽になったのか、大池は素直にうなずいた。「眠れるかどうか、やってみる……赤酒をください。三十CCぐらい……心臓というのは気むずかしいやつでね、交際《つきあ》いきれないよ」 久美子はコルクの栓を抜き、いいほどにタンブラーに赤酒を注いで渡した。大池は小鳥が水を飲むように、時間をかけてチビチビと赤酒をすすりこむと、眠るつもりになったらしく、クッションに頭をつけて眼をとじた。 なんとなく静かな顔つきになったと思ったら、大池は鼾をかきはじめた。 湖水のほうから来る風が、潮騒のような音をたてて林の中を吹きぬけてゆく。風の音と鼾の音が一種の階調をつくって、ひとを睡気にさそいこむ。久美子は床に坐り、長椅子の端に額をおしつけて、うつらうつらしていた。 鎧扉をあおる風の音で眼をさました。ちょうど十二時だった。 大池は調子の高い鼾をかき、なにか操《あやつ》られているように、グラグラと頭を左右に揺っていた。薄眼をあけ、動かぬ瞳で空間の一点を凝視している。ただごとではなかった。「大池さん……大池さん……」 肩をゆすぶりながら、大池の手の甲に、コルク抜きの先を、思いきり強く突きたててみた。なんの反応もない。「とうとう……」 久美子が恐れていたのは、このことだった。

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