パン粥を一杯食べた

 石倉があらわれるかと、ひそかに怖れていたが、いそがしいのか、石倉はあらわれず、伊東署の連絡係の若い巡査が心をこめて夕食の世話をしてくれた。 食慾はなかったが、無理をして、パン粥を一杯食べた。「おいしかったわ」「食が細いねえ。もうすこし、やったらどうだ」「心臓のところが重っ苦しくて、食べられないのよ」「そうか。無理をしちゃ悪いな」 しみじみとして、残っていられるなら、残っていてもらいたかったが、七時ごろ、おだいじにと言って帰って行った。 夜になると、対岸の草地でジャンボリーがはじまった。キャンプ・ファイヤーを囲んで讃美歌やボーイ・スカウトの歌を合唱している。 降るような星空の下、釉薬《うわぐすり》を流した黒い湖の面に、ちりばめたようにキャンプ・ファイヤーの火の色がうつり、風が流れると、それが無数の小さな光に細分され、眼もあやにゆらゆらとゆらめきわたる。 久美子は子供たちの合唱を聞くともなく聞きながら、空の中にある満々と張りつめたもののたたずまいをぼんやりとながめていたが、そのうちに、なんともつかぬ嫌悪の念に襲われて、枕に顔を伏せた。 昨日まで、あんなにも心を惹かれた湖の風景が、なぜか嫌らしくて見てやる気もしない。安らかな方法で自殺しようなどと、あてどもないことを考えていたが、そんな方法はありえないことを身をもって学んだ。父のように肝臓癌で阿鼻叫喚のうちに悶死するにしても、たぶん、もう二度と自殺しようなどとは考えないだろう。 久美子は自嘲するようにニヤリと笑った。

— posted by id at 10:42 am  

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